求道庵通信 平成24年 (第172号〜第183号)

第172号/第173号/第174号/ 第175号/第176号/第177号/ 第178号/第179号/第180号/ 第181号/第182号/第183号/ 一覧表へ

求道庵通信(第172号)


昨年は東日本大震災によっても、多くの人々の命が失われました。
ついさっきまで、話し、笑ってていた人の命が、一瞬にして奪われる。
あまりにもあっけない命のはかなさに、多くの方々が驚き、今まで以上に命について 考えさせられたことと思います。
この命とは何であるのか。生きるとはどういうことなのか。
この大きな災害によって、生きる命を生きているのではないということを、私たちは 教えられたのではないでしょうか。

↑Top/home



求道庵通信(第173号)


親鸞聖人の晩年(西暦1259〜1260年)に、大飢饉が全国を襲い、 これと同時に疫病が流行して、庶民ばかりでなく、貴族、僧侶も含めて、大変に多くの 人々が亡くなられたという災害がありました。
聖人が関東の御弟子の一人である乗信房へ宛てられた御手紙の中に、この出来事について 述べられた部分があり、以下のように書きしたためていらっしゃいます。
「なによりも去年今年老少男女おほくのひとびと死にあひて候ふらんことこそあはれに候へ  ただし生死無常のことはりくはしく如来のときおかせおはしまして候ふうえはおどろき おぼしめすべからず候」
現代語にすれば、「何をおいても、去年今年と老若男女を問わず多くの人々が亡くなられた ことは、本当に哀れなことです。ただし、何時どうなるか分からない命であるということは、 御釈迦様がとっくにくわしくお説き下さっていることですから、決して驚くことではありません。」 ということです。
私たちは、多くの人が亡くなるような事件が起こるたびに、なぜこんなことが起こるのだ、 なぜこれだけ多くの人々の命が奪われるのだ、と驚いてばかりいますが、聖人は 「哀れなことではあるが、驚くことではない」とおっしゃられています。
では、聖人にとっての「驚き」とは何でしょうか?皆様よくよくお考えになってみて下さい。

↑Top/home



求道庵通信(第174号)


本来、在るはずのない「いのち」がここに今賜わり在るという驚き。
私の「いのち」はそれほど尊いものであったのだ気付かされたなら、できる限り大切に しなければならない「いのち」であることも同時に気付かされるでしょう。
今、日本で大問題になっている自死ですが、自分の「いのち」の尊さを本当に知ることが できたなら、自分の「いのち」を粗末には出来ないはずです。
そしてまた自分の「いのち」だけではない、個々の「いのち」も在るはずのない尊いものと 気付かされます。
「なぜ人を殺していけないのか?」という議論が以前有りましたが、個々の在るはずない 「いのち」の尊さに気付かされたなら、答えは自ずと出てくるでしょう。

↑Top/home



求道庵通信(第175号)


命あるものは必ず死んでいかなければならない。
これは誰もが知っていることであり、一応頭では理解していることではありますが、 普段は、自分にはまだまだ関係ないことと思い生きるのが私たちの常です。
ところが、いざ自分にその死が降りかかってくると、「なぜ私が?」と大慌てし、最後は あきらめの中に命を終えてしまうのが、私たちの姿です。
元気なうちから、自分の「いのち」の在りようを見つめ、「無常のいのち」を生かされていることに 気付くことも必要です。
「いのち」を守ることばかりに気を取られていると、「無常のいのち」であることを忘れてしまう ことにもなります。

↑Top/home



求道庵通信(第176号)


在るはずの無い「いのち」を生きている。
しかし、それを当たり前の「いのち」と思い、お互いに傷つけ合い、大切にすることなく 生きている人も多いように思えます。
欧米の思考は個を中心として考えて行きますが、仏教的に考えれば、今ある私は全ての 縁が在って存在するものであり、個としてだけで存在するものは決して有りません。
したがって、全てが無ければこの私も存在し得ないのです。
自分の力だけで生きていると思ったら大間違い。全てに支えられることなくしては、 生きることの出来ない私の「いのち」なのです。
このように成り立っている関係を「縁起」といい、これは仏教の基本的教説です。

↑Top/home



求道庵通信(第177号)


お念仏の教えによって、在るはずの無い「いのち」が、全てに支えられ 生かされている「いのち」であることを知らされる。
このことに気付かされたならば、「恩」を知り、「感謝」しないでははいられません。
自分の力で生きていると思っているなら、それは大間違いです。
一番身近な家族の中においても、自分一人が頑張っていると思い込み、それを家族は 分かってくれないと愚痴さえもこぼす方がいらっしゃいますが、家族がいるおかげで 頑張らさせてもらえているのでは?
こう受け取れたなら、愚痴の人生から感謝と喜びの人生に変わるでしょう。
今までたいして「恩」に気付くことのなかった方は、まずは手始めに、夫婦間で「あなたが在るから 私が在る。有難う。」と、互いに感謝し敬い合ってみて下さい。
ここに欧米的な思想である契約の論理(私はこれだけするのだから、あなたもこれだけしなさい)は 必要ありません。
必ずや平和で穏やかな家庭となることでしょう。
そうして、次は他者へ社会へとその思いを表していったならば、親鸞聖人の示された 念仏申す身と成らせて頂いた喜びの姿、恩を知り報謝の姿から表れる思い、「世のなか安穏なれ、 仏法ひろまれ」となることです。

↑Top/home



求道庵通信(第178号)


お盆と一言でいっても、行事を迎えるにあたり、地域によってその時期が異なります。
北海道では、多くは8月ですが、函館、網走、根室は7月にお盆の月を迎えます。
関東では東京が7月。沖縄では旧暦のままでお盆を迎えるようです。
お盆と聞くと、長期の休暇だと思って、レジャーに行かれる方もいらっしゃいますが、筆者の知る多くの方々は 故人を偲び、お墓や納骨堂へお参りをされます。
もちろん、幼い頃から親に連れられてお寺参りをされていた方々が引き継いで、お参りをされる場合が多いのですが…。
今の私がここに人として存在することは、故人の方々が在ったお陰であり、その故人を思い感謝することは大切なことでしょう。

↑Top/home



求道庵通信(第179号)


8月はお盆の休暇で、帰省してお墓や納骨堂へお参りされる方も多いことと思います。
そうして、お盆の各種行事や盆踊りなどに参加される方も多いでしょう。
盆踊りは、地獄に堕ちて激しい苦痛を受けていた亡者たちが、お盆にその苦しみを免れて、踊り狂って喜ぶ姿を 模倣したものとも言われています。
お盆を迎えて、こうした行事に参加することによって、故人が守り伝えてくれた仏教の教えを、各人が 身に付けていきたいものです。

↑Top/home



求道庵通信(第180号)


お盆の行事は、推古天皇14年(606年)に、毎年7月15日に斎を設けるとあるのが、 一番古い記録です。
次いで、斎明天皇3年(657年)に須弥山の像を飛鳥寺に造って盂蘭盆会を設けたという記録があり、 これ以来日本では盂蘭盆会の行事が行われ、全国的な行事になりました。
それほど古くから行われている行事ですので、伝播した地域や風土によって変化し、いろいろな形態となって、 根付いていったようです。
ですから、その家々によってもお盆の迎え方が異なることもよくありますが、家人の思いとしては7月13日に 亡者の霊を迎え、7月15日にその霊を送るという意味合いで、この間に果実や飲食物などを供え、僧侶に読経を してもらう家庭が多いようです。
しかし、浄土真宗においては亡者の霊が帰ることはいいませんので、迎え火・送り火を意味する盆提灯も本来は 飾りません。
あくまでも仏恩報謝として、盂蘭盆会の法要を勤めます。

↑Top/home



求道庵通信(第181号)


親鸞聖人は日本歴の弘長2年11月28日に御往生されました。
これを西暦(グレゴリオ暦)に当てはめると、1263年1月16日に当たります。
真宗各派によって、そのまま11月28日を祥月命日とするところと、西暦に合わせた1月16日を祥月命日にするところが あります。
これによって、明治の西暦導入後、「御正忌報恩講」の日程が真宗各派によって、異なるようになりました。
しかし、日程が異なるようになっても、親鸞聖人の一生をかけた凡夫救済の教えを明らかにして下された御苦労を偲ばせて頂き、 私たちがその教えを聞き開かせて頂くという「報恩講」の意味は変わりません。

↑Top/home



求道庵通信(第182号)


本願寺第三代御門主覚如上人によって「報恩講」の御法要が勤められることになりました。
これは、親鸞聖人への思慕と同時に、本願寺の基盤をしっかりと築くことでもありました。
その後、第八代御門主の蓮如上人が、『御文章』の中に「報恩講」を取り上げ広められて、各寺院・各家庭においても、 法要が勤められるようになりました。
この『御文章』の中で一番強調されていることは、信心を頂いているものはその信を深め、信心を頂いていない者は 「報恩講」の勤まる間に信心を頂くようにしなければならないということです。

↑Top/home



求道庵通信(第183号)


西本願寺の「御正忌報恩講」は、1月中旬の冬真っ只中の時期に勤められます。
その御影堂で勤められる法要は、大勢の御門徒が参詣される中にあっても、京の底冷えに身の引き締まるほどです。
カイロをいくつか身に付けても、寒さを感じます。カイロなど無かった頃は、どれほどの寒さを感じることだったでしょう。
親鸞聖人は、このような寒さの中に御往生をされたのかしらと、思いもはせることです。
喚鐘(法要開始の合図である鐘)の響きの終わるころ、雅楽の演奏と共に諸僧の入堂。 そうして、読経が始まります。
一緒にお勤めをさせて頂きながら、自分の命の本当の行先を明らかにして下さった親鸞聖人の御苦労を偲ばせて頂きます。

↑Top/home