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求道庵通信(第124号)
★ 仏教は釈尊によって開かれた教えです。その仏教の開かれた出発点は、
人間として決して避けることのできない苦悩の解決を目的としています。
王子として生まれ、何不自由の無い生活があっても、なお決して満たされることのない不安。
これこそが、人間生存そのものが苦であるということです。
この苦悩を解決すべく、道を求め、真理を自覚され悟りを開かれたお方が釈尊であります。
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求道庵通信(第125号)
★ 人間の苦悩の原因は執着心といわれます。物事に執着することによって、
苦悩が生じます。
私には地位がある、私には名誉がある、私には財がある、健康がある、妻がある、子がある等々…。
人間はこれらを守り、また得ようとして生きるものです。そして、これらが得られたならば安らぎが得られると思い突き進んでいますが、
実は、知らず知らずのうちに苦悩の淵に落ちて、苦しみもがいているのが私たちの現実の姿でありましょう。
この執着心から離れることが、本当の安らぎを得ることであると気付かれて、全てを捨て、執着心を滅されて仏陀となられたお釈迦様は
、執着心によって苦しみ生きるしかなかった私たちに、仏陀への道、悟りへの道を一生を通して説き続けて下されたのです。
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求道庵通信(第126号)
★ 東南西各門での出会いは、私たちの身の上においては、
できることなら何としても避けたいものとしてあります。
東門の老人との出会いは、いつまでも有りたい若さ・青春に対するもの。
南門の病人との出会いは、健康・安全に対するもの。
西門の葬儀との出会いは、生存・存在に対するものです。
若さに満ちた青春を謳歌し、健康で安全に生きていても、それらは永続して続くものではなく、
近いうちに根底から打ち砕かれるものとしてあることを厳しく示しているのです。
これは、私たち個々は、老病死の無常そのものであり、世間的な幸福も移ろいゆく
無常なるものという、苦以外の何ものでもないことを意味しています。
東門の出会いは、本当の幸福は無常の中に幸福を求めるのではなく、その無常なる苦を
解決することであると気付かれた。それが出家の道をおいて他にはないという決断の上に、
お釈迦様は出家者としてひたすら道を求められたのです。
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求道庵通信(第127号)
★ 釈尊が出家された理由は、王城での享楽・財力・地位にむなしさを感じたからでしょう。
『中阿含経』に「比丘らよ、私は実に後に若い青年であって漆黒の髪有り、楽しい青春に満ちたけれども、
人生の春に、父母が欲せず顔に涙を浮かべ泣いていたのに、髪と鬚を剃り落として、袈裟衣を着けて
家を出て出家行者となった」とありますが、世間の幸福感は、すべてが自身を裏切って行くものであり、
当てにならないもの。決して真の安らぎを得られるものではないと知られたからに他なりません。
出家された釈尊は、真の安らぎを得ようと、まず厳しい苦行の道に入られました。
しかし、この苦行もまた釈尊にとられては、身体を衰弱させるばかりのもので(右写真の苦行像)、
決して悟りへの道ではなかったのです。
ここに、快楽主義(王城での何不自由ない生活)も、苦行主義(肉体を苛む修行)も、本当の安らぎを得られる
方法ではないと断定された釈尊は、何れにも片寄らない道こそが、悟りを得る真実の道と知られたのです。
これを中道といいます。
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求道庵通信(第128号)
★ 釈尊が快楽主義にも、また苦行主義にも、どちらの道にも片寄らない中道は、
釈尊以前には見出し得なかった仏教独自の実践的態度です。
主義主張をもつことも煩悩によるのですから、どちらにも片寄らないというこは、
主義主張を持たないということになります。
仏教にはイズムが無いといわれるのはここからきます。
私たちはこの煩悩によって、敵だ見方だ、正義だ悪だと区別し争いを起こします。
本来は正義も悪も、敵も味方も無い(決して虚無主義のことでももちろんありませんよ)、
それを作り出す私がここに居るだけなのです。
そして、欲望の虜になりこれを是としたり、反対にこれではいけないと極端に禁欲的となったり、
自身の正しいと思う方向に進んでは、道を求める者はこれまた苦悩するのでしょう。
この煩悩が悟りへの道を妨害します。この煩悩を悪魔に喩えているのです。
悪魔は外にいるのではなく、自身の心深いところにある。この悪魔を退治することが、
本当の智慧に目覚めることであり、悟りの姿でもあるのです。
智慧とは在るがままに見ることです。
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求道庵通信(第129号)
★ 釈尊が悟りを開かれ仏陀と成られましたが、この悟りの内容である「縁起の法」は、
煩悩を退治したものにしか理解することができないものです。
この悟りの内容を、煩悩の虜となり苦悩の中に生き、その姿にすら気付くことの無い衆生に、如何にして説き示そうかと、
釈尊は28日間(四七日)七日ごとに場所を変えて、三昧をされ苦慮されたようです。
しかし、その結果は説法絶対不可能というものでありました。
これは、上記でも示したように、悟りの内容がそのまま悟りの開かれたことであり、悟りの内容を知ることの
できるものは、覚者である仏陀以外にあり得ないからです。
そうであっても、衆生救済のために説法を開始せずにはいられなかったのが、真実の智慧者である仏陀と成られた
釈尊の姿でありましょう。
これを伝説的に、梵天が説法を要請し、それに答える形で説法を開始されたと伝えられているのでしょう。
ここでの梵天とは、娑婆世界の代表者としてあります。
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求道庵通信(第130号)
★ 釈尊が悟りを開かれ仏陀と成られたまま、その悟りの内容である「縁起の法」を、
釈尊御自身が楽しむだけであったならば、それは法として厳然と在るだけで何も変わりません。
どれほど厳然として在る法であっても、衆生にとっては、まったく気付くことも知ることもないままのものでしか
ありません。
その「縁起の法」の存在を衆生に説くことによって、厳然として在るだけの法が、初めて衆生に伝えられる
ものとなります。
この法を伝えるために、衆生に説法を始められたということは、仏陀と成られた釈尊が、「如来」と
成られたことを意味します。
「真如」とは厳然として在る法のことで、これが「縁起の法」でもあります。「あるがままにある」ことですが、
悟りを開いたものにしか知ることの出来ないものであり、在りようです。
その悟りを開いたものにしか知ることの出来ない在りようから、衆生に知らせる姿となって現れ来るものを
「如来」といいます。
説法絶対不可能の「縁起の法」であっても、その法が在ることを知らされるのと、知らずにいるのとでは、
その人の人生において大きな違いが現れると思います。
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求道庵通信(第131号)
★ 釈尊が五人の修行者に説かれた教えは、もちろん悟りの内容である
「縁起の法」でした。
「縁起の法」の内容として説かれたのが、四聖諦(四つの尊い真理)です。
この最初の説法を「初転法輪」というのは、仏陀の法が輪を回して車を前進させるように転じていく最初の
説法となったからです。
また、輪は古代インドの戦闘に用いられた車であり、その戦車が回転して敵を破砕するように、仏陀の
説かれた教えが、衆生のあいだを回転して迷いを破砕することに喩えて「転法輪」といわれます。
「三宝」は聖徳太子の17条憲法の第2条にある「篤く三宝を敬へ 三宝は佛法僧なり」というお言葉で
有名ですね。
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求道庵通信(第132号)
★ 釈尊は『仏説無量寿経』の中に、仏法を聞くことの出来ないものの姿を示され、
次のように説かれています。
「こういう人々は、心が愚かでありかたくなであって、仏の教えを信じず、後の世のことを考えず、
各自がただ目先の快楽を追うばかりである。
欲望にとらわれて悟りの道に入ろうとせず、怒りにくるい財欲と色欲をむさぼることは、
まるで飢えた狼のようである。
そのために悟りが得られず、ふたたび迷いの世界に生まれて苦しみ、いつまでも生まれ変わり
死に変わりし続ける。
何という哀れな痛ましいことであろうか。」・・・(『浄土三部経』現代語版:本願寺出版)
この人々の姿は、釈尊御在世の頃から2500年後の今も変わらないですね。(私も含めて)
それよりも現代人の欲望の増大は、何千倍、何万倍も膨らんでいるように思えます。
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求道庵通信(第133号)
★ 釈尊は、教えを理解し実践する者は、社会的な地位・貧富・性別に関係なく
教団へ入ることを許可したので、釈尊の説かれる法を聞き、その法を実践しようとする者が数多く
弟子となりました。
教団においては、先に出家した者が長老として尊敬されましたが、その中でも、釈尊は知識豊富で
徳に優れた出家者を尊者として、指導者としての役割を与えられました。
この指導者の中で有名な弟子が、十大弟子と呼ばれる方々です。
多くの仏教経典の中にもよく登場される方々ですが、夫々に秀でた徳が伝えられています。
しかし、『維摩経』の中では、維摩居士にタジタジにさせられる姿が人間的で面白いです。
維摩居士は、『維摩経』の主人公で、在家でありながら悟りを得ている方と表現すればよいでしょうか。
また、十大弟子は、版画家の棟方志功氏の「二菩薩釈迦十大弟子」の版画の題材ともなっています。
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求道庵通信(第134号)
★ 釈尊は、悟りを開かれをて伝道を開始されてからは、住居を定めずに、多くの人々に
法を説かれました。その説かれた教えを弟子の方々が書きしるしたものが、現在の『経典』です。
釈尊の説かれたことを、一字一句間違えずに聞いて覚えたものを書きしるしたので、お経の最初に
「我聞如是」・「如是我聞」等々と、「かくの如く私は聞きました」という言葉があるのです。
その説かれた法が、八万四千の法門といわれるほど多く有りますが、教えを求めるそれぞれの人に
合わせて、教えを説かれたのでこれだけの数に上ったのです。この説かれ方を「応病与薬」といいます。
それぞれの病状に合わせてその病気に合った薬を与えるごとく、真の安らぎを与える教えを
説かれたのです。
釈尊の入滅の様子は『ブッダ最後の旅』中村 元先生訳 (岩波文庫)に出ています。興味ある方は
御一読下さい。
入滅の月日は2月15日が定説となっていますが、年代は紀元前486年説、紀元前386年説等、
諸説があります。
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求道庵通信(第135号)
★ 釈尊の開かれた仏教の教えは、ただ聞いたり読んだりして覚えるものではありません。
自分自身の実践の道としてあります。
お経に説かれる内容は、実践の道としてあるのです。
「人生は苦なり」を教えの出発点として、その苦を起こす元が、「我執」という囚われの心であると
教えてくれてます。
「我執」とは私達の価値基準、判断基準と言い換えても良いでしょう。敵も味方もその中から生じる
ものですし、幸福感も同様です。
これらによって争い奪い合い、苦悩して生きるしかないものが、私達の姿であるのです。
こういう私達に、「真理の法に照らされた自身の姿を知り、法に照らされた自身を依り所とし、他者を
依り所とせず、そして、自らを照らす真理の法を依り所として生きよ」と示されたものが、「自灯明、法灯明。
自帰依、法帰依。」として伝えられているのです。
この実践が、自他無く、自身の幸せがそのまま他者の幸福となる生き方であります。
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