求道庵通信今月号 (第350号)

*往生と浄土について-(11)


★各人の「我」によってそれぞれの世界が在る。このような世界は本当に在る世界とはいえません。
本当に在るといえるのは、だれが見ても同じ世界となることであり、そこには我から完全に離れた本当の智慧によって完成され、見ることのできる世界となります。
私たちは同じ世界に住んでいないからこそ、それぞれに大義名分なるものを掲げて、それによって意見のぶつかり合いを起こして争い、互いに傷つけ合い苦しめ合っているのですが、 そのことにも気付かない悲しい存在です。
この悲しい姿に気付かせる働きも「浄土」であり「南無阿弥陀仏」なのです。