求道庵通信今月号 (第345号)
*往生と浄土について-(6)
★私たちは阿弥陀仏の「浄土」に生まれると聞くと、今在る私の姿のままで「浄土」に立つように理解することが多いでしょう。
この理解の仕方も、相対的な世界に生きるしかない私たちの思考から現れてくるもので、如何ともしがたいものです。
それで、「浄土」に生まれると聞いてもこのままの姿の私が生まれるのだと理解してしまうのも仕方ないことです。
しかし、「浄土」とは、無我の世界であり、自と他の区別や差別の無い世界です。
確かにこの私が「浄土」に生まれさせて頂くのですが、その姿は私という我を離れた私であり、絶対的真理そのものになるということです。
私という我に凝り固まった凡夫には、本当に難しく理解できないことです。
そこで、親鸞聖人は『高僧和讃』に「安養浄土の荘厳は唯仏与仏の知見なり・・・」(浄土の姿・世界は悟り開かれた、ただ仏と仏のみがうかがい知ることのできる世界である)と
示されています。