求道庵通信今月号 (第339号)

*安心について-(12)


本当の「安心」は、阿弥陀仏の「必ず救う任せよ」という変わることのない金剛の心を頂くだけです。
自分の心をあてにしないでただ頂くだけですから、これほど簡単なことはないはずなのですが、実はこれが大変難しいのです。
凡夫でありながら、いえ凡夫だからこそ自分のあてにならない心をあてにして「安心」を取りに行こうとして、結局はあてにならない自分の心に「安心」を作り出そうとしてしまうのです。
親鸞聖人は『正信偈』の中で「邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」、意訳すれば「よこしまで驕り高ぶる悪の凡夫にとって、阿弥陀仏の真実心を素直に受け入れることは、難しい中にもなお難しく、これ以上難しいことはありません」と述べられています。
しかし、阿弥陀仏の真実の心を頂かない限り、私たちには本当の「安心」は得られないでしょう。